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大東生になったら「あなたの中の学校がかわります」

2019.7.19 終業式 大東学園通信

yjimage[2] 6月に沖縄で咲く「月桃の花」

~ 6月23日は 『沖縄 慰霊の日』  ~

終業式の今日が終わると長い夏休みになります。そして夏休みの半ばを過ぎ、そろそろ2学期のことが気になりだすころ、8月15日『終戦記念日』がやってきます。1945年8月15日、日本がアジアと太平洋を舞台にアメリカを中心とする連合国との過酷な戦争に敗戦し、終わりを迎えた日です。もっと長い期間で考えると明治時代からの日清戦争から日露戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦(アジア太平洋戦争)と50年間以上におよぶ日本の長い戦争の時代が「無条件降伏」という結果で幕を閉じた日でもあります。

それより2か月ほど前の6月23日、沖縄では『慰霊の日』として戦没者のことを思い、平和を祈る日としています。1945年の4月に沖縄本島へ上陸したアメリカ軍、それを迎えた日本軍が沖縄の住民を巻き込んで地上戦を展開しました。6月23日は沖縄戦の司令官が『自決』したことで、それ以降、日本軍の組織的な戦闘が行われなくなった日です。しかし、その後も各地で散発する戦闘に巻きこまれ沖縄の人々の犠牲が続きました。

沖縄戦の戦没者数は全体で20万人以上、そのうち9万4千人以上が子どもを含む沖縄県民でした。当時の沖縄県民の4人に一人がこの戦いで犠牲となりました。

~ 安里(あさと)要江(としえ)さんのこと ~

こんなニュースに目がとまりました…

【北中城】沖縄県内最高齢の沖縄戦の語り部で、映画「GAMA 月桃の花」のモデルにもなった安里要江さん(98)が体調不良を理由に語り部の活動を終えることを決めた。16日、北中城村の喜舎場公民館で最後の講話が開かれた。安里さんは修学旅行で沖縄を訪れた生徒らに「命ある限り語るのが私の使命だった。二度と悲惨な戦争が起きないよう、みなさんも後世に伝えていってほしい」と話し、若い世代にバトンを託した。

安里要江さんは沖縄戦当時25歳、アメリカ軍と日本軍が住民を巻き込んで繰り広げる地上戦の中を逃げまどいました。3歳の長男(宣秀)の手を引き、9か月の長女(和子)をおぶって、病気の夫を含む親族9人、食料も満足に確保できない状況で雨季の大雨と『鉄の暴風』(日米両軍の砲弾の嵐)の中を逃げたのです。9か月の長女・和子ちゃんは安里さん自身が栄養不足で母乳が出なくなり、轟壕(自然洞窟)の中で衰弱し安里さんの腕の中で抱かれたまま亡くなってしまいます。長男・宣秀くんは砲弾の破片を受けた傷がもとで亡くなります。夫を含め同行していた親族も次々と犠牲となり、最終的に安里さん一人だけが生き残りました。「雨のなかをくぐり抜けて苦しいなかを生き抜いたと言う喜びよりも、亡くなった人たちとの別れの悲しさは永遠に消えないです。戦争ってどうして私たちばかりをいじめてくるの…というような感じです。たくさん家族が死んでいきましたね。」

大東学園の沖縄修学旅行が始まった1997年、安里さんはその年から何度も何度も大東生に向けてご自身の沖縄戦体験を話してくださいました。安里さんにとって自分の戦争体験を語るということは、自分の最愛の子どもたちを、夫を、家族をどのように亡くしたか、どんな様子で死んでいったのか…誰でも二度と思い出したくないような悲しくつらい体験を思い出し振り返ることです。「二度と悲惨な戦争が起こらないように、若い世代に自分の経験を語り継ぐ」というお気持ちであったとしても、大変なご負担であったろうと思います。どれだけ感謝してもしきれるものではありません。

~ 戦争の「語り部」の皆さん ~

戦後74年目となった今年、ご自身の戦争体験を語ってくださる「語り部」の方々は徐々に少なくなっています。大東学園の沖縄修学旅行でも1997年当初は安里さんをはじめ、多くの体験者の方々にお話をお願いできましたが、今年度は玉木利枝子(84)さんと平良啓子(84)さんのお二人になりました。平良さんは初回の修学旅行から大東生にお話をしてくださっている方です。直接に戦争体験者からお話を伺える機会はこの先もっと少なくなり、やがてなくなります。それは私たちが74年間、戦争を経験しなかったという喜ばしいことでもあると同時に、平和のために自身の戦争体験を語ってくださった「語り部」のみなさんのおかげでもあります。今後はお話を聞いた私たちに、その体験を語り継ぐ「責任」が生まれるのではないでしょうか。

2019.7.21 09:27 on 校長通信

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