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大東生になったら「あなたの中の学校がかわります」

2018.9.5 1年生 朝会

「焼き場に立つ少...」の画像検索結果
1学期の終業式に「8月15日終戦記念日」のこと、ということで大江健三郎さんのエッセイを紹介しました。覚えていますか?また、毎年8月15日の前後には新聞やニュース番組、インターネット上でも「戦争」の特集記事・特番が多く組まれ、戦後73年になるのに毎年、戦争にまつわる新しい事実や証言などが発掘される。まだまだ私たちが知らなくてはいけないこと、学ぶべきこと、考えなくてはいけないことがあるようだ、という話をしました。今年の終戦記念日前後、印象に残り生徒の皆さんにも伝えたいなと思ったのがこの写真です。それはこのようなニュースでした…『昨年末バチカンで、法王フランシスコが作成し、関係者に配布した「焼き場に立つ少年」のカードについて、この日本語版が完成しました。現在、日本にある16の教区本部事務局を通して配布しています。』というものです。

~『焼き場に立つ少年』~

写真は、アメリカ人の従軍カメラマンだった、故ジョー・オダネルさんが1945年の原爆投下直後に長崎で撮影したものです。彼は撮影時の様子をこうつづっています…。

『佐世保から長崎に入った私は小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。彼らは60センチほどの深さに掘った穴のそばで作業をしています。やがて、10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目にとまりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に負っています。弟や妹をおんぶしたまま広場で遊んでいる子どもたちの姿は、当時の日本ではよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的をもってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすりと眠っているのか、首を後ろにのけぞらせていました。 少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男たちがおもむろに近づいて赤ん坊を受け取り、ゆっくりと葬(ほうむ)るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に焼けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がり、真っ赤な夕日のような炎が、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは。少年があまりきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が鎮まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。』

~この写真から感じること~

法王フランシスコはこのカードの裏に「戦争が生み出したもの」というメッセージを入れ、この夏世界中にカードを送ったそうです。1945年8月9日、長崎ではアメリカ軍の原爆投下によって7万4000人が犠牲になりました。その3日前、広島では同じく原爆によって10万人以上が犠牲になっています。この少年のように、もう頼れる大人は誰もなく、家族との死に別れを悲しむ間もなく、幼い兄弟を焼き場へ連れていくしかない状況は決して珍しいことでなかったでしょう。でも、それ以上に考えさせられるのはこの少年の『立ち姿』ではないでしょうか。1931年の満州事変から15年間、日本の政府と軍部は日本人310万人以上の死者を出し、アジア太平洋地域の人々2000万人以上を犠牲にして、最終的には「本土決戦」「一億玉砕」をも厭わず戦争を続行し、国民に戦争協力を強い、国民を戦場へと送り続けました。この少年の『立ち姿』から、それを可能にした当時の日本の「皇民化教育」や「学校」の姿が透けて見えるように感じます。「学校」「教育」に携わる者としてたくさん感じ学ぶことがあります。みなさんは何を感じますか?

 

 

2018.9.5 09:09 on 校長通信

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