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大東生になったら「あなたの中の学校がかわります」

2021.4.8 2021年度1学期始業式

新しい一年の始まりです ~2021.1学期始業式~
 在校生のみなさん、進級おめでとうございます。
 前年度は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、緊急事態宣言のもとに4月を迎えました。全国的に休校要請が続き、学校に登校できるようになったのは6月、実際には2か月遅れての新年度のスタートだったことを思い出します。年が明け3学期、感染者の急増に伴い、1月には二度目の緊急事態宣言が発出され2回の延長の末、3月21日に解消されました。こうして4月8日に予定通り始業式を迎えられたこと、予定したことが予定通りにできることに妙にうれしさを感じます。
とは言え、現在も東京だけでなく全国的にも感染者が増加傾向にあります。感染拡大の第4波の到来を防ぐため「まん延防止等重点措置」が適用される地域も出始めました。やはり今年度もコロナ禍のもとのスタートとなります。一年前の今頃はコロナ禍の生活に対し世界中が手探りだったことに比べれば、この一年間で多くの経験と知見が蓄積されました。生徒のみなさん、そのご家族、教職員の健康と安全を第一に考えることに変わりはありませんが、今年はより通常に近い学校生活が遅れることも目指していきたいと思っています。生徒のみなさんの協力が大切です。よろしくお願いします。
新しい一年が始まります。新学期を迎えて、みなさんそれぞれに新しい期待を抱いて、楽しみにしていることもあると思います。また、自分なりの目標を立てているかもしれません。それらを大切にできる1年間となるように願いたいと思います。
4月1日…沖縄では…
4月…沖縄では「浜下(う)り」の季節、浜では潮干狩りが始まったり、海開きの頃でもあり初夏のさわやかな季節です。沖縄の4月はさわやかな初夏の季節であると同時に、76年前の4月1日にアメリカ軍が読谷村の海岸から沖縄本島に上陸し、凄惨な沖縄戦の始まった時期であることも忘れてはいけません。『沖縄タイムス』にこんなニュースを見つけました。
【読谷】「もうダメだ、自分たちで死ぬほかない」-。沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」が起きた村波平のチビチリガマ。本島に上陸した米軍が侵入すると、追い詰められた住民らが肉親を手に掛ける悲劇が起きた。家族で避難していた上原進助さん(87)=米ハワイ州在住=が国際電話で取材に応じ、チビチリガマで見た光景を語った。1945年4月1日、母や妹ら家族とチビチリガマに避難していた上原さんは、米兵と戦うために竹やりを持って出た住民2人が銃で撃たれる音を聞いた。ガマは静まり返り、住民らに絶望感が広がった。翌2日、米兵が「出てきなさい」「殺しはしない」などと日本語で書かれた紙を持ってガマに入り投降を呼び掛けた。だが「捕まれば残酷な殺され方をする」との教えが徹底されていた住民らは応じなかった。激しく動揺した住民らの中に、毒薬注射を手にする看護師の女性の姿があった。肉親らに打つ姿に「私も死にたい」と上原さんも注射を待つ列に並んだ。上原さんの番になったが退けられ、看護師は最後に残った分を自分で打った。「アンマー」と泣き叫ぶ声が響き、娘を刃物で切り付ける母親の姿もあった。住民らが極限状態に追い込まれ、毛布などに火が付けられるとガマに煙が充満した。息ができず苦しむ中、母親が「暗い所で苦しむより明るい所で死のう」と外へ逃げ、上原さんたちは米軍の捕虜になった。  肉親を手に掛けた当時の状況を「米軍に捕まったら天皇陛下に恥をかかせることになるから、自分の始末は自分でするべきだと大人から教えられた。あの時の教育は本当に愚かだった」と振り返る。平和を希求する一人として現在はハワイで牧師として活動する上原さん。3日は、ハワイからチビチリガマでの犠牲者の御霊の冥福を祈った。(社会部・大城志織)
 読谷村波平のチビチリガマでの『集団自決』と呼ばれた強制的な集団死について2年生の総合科目「平和」で学びます。新3年生のみなさんは知ってますね。チビチリガマに避難していた波平の住民は139名、そのうち集団死という形で命を失ったのは82名、その半数以上が乳飲み子も含む12歳以下の子どもたち…なぜそんなことが起きたのか、それを考えることが沖縄戦の意味を知ることで、当時日本がしていた戦争の本質を考えることにもなります。総合「平和」の大切な学びです。各学年の総合科目、今年も大切に学び、考えていきましょう。

2021.4.12 14:37 on 校長通信

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