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大東生になったら「あなたの中の学校がかわります」

2020.12.24  2学期終業式

 依然として引き続くコロナ禍の中で2学期が終了します。いかに感染症を予防しながら日常生活を取り戻していくのか、模索しながらの日々が過ぎていきます。2学期は9月の9時半登校、40分授業から11月には9時登校の45分授業へと少しずつ戻しながら、その後、学期末までには通常の8時半登校の50分授業へと戻す計画でした。しかし新型コロナウイルスの感染拡大第3波に見舞われ、それはかないませんでした。登校時刻や授業時間だけでなく、授業内容や部活動などもまだまだいろいろな制約を受けています。
9月に実施予定だった大東祭や11月の第2学年沖縄修学旅行はともに延期され新年2月に実施予定です。迎える2021年は少しずつでも状況が快方に向かうことを心から願わずにはいられません。2週間ほどの冬休みになります。どうか、いつも以上に健康と安全に気を付けて過ごしてください。

~ 安里(あさと)要江(としえ)さんのこと ~
こんなニュースに目がとまりました…

映画のモデルにもなった
    最高齢の沖縄戦語り部 安里要江さん、99歳で死去
 沖縄戦で夫と2人の子ら親族11人を失い、昨年5月まで県内最高齢の語り部として活動を続けた安里要江(あさと・としえ)さんが12日午後10時33分、甲状腺がんのため北中城村内の老人保健施設で死去した。99歳。中城村(現・北中城村)喜舎場出身。自身の体験が映画「GAMA 月桃の花」のモデルにもなった。告別式は15日午後2時から2時45分、うるま市兼箇段93のJA虹のホールうるまで。喪主は長男の常治(じょうじ)さん。 安里さんは1920年生まれ。沖縄戦当時は24歳で2児の母。乳飲み子の娘を抱き、病身の夫と幼い息子、親族とともに戦場を逃げ惑った。糸満市の轟の壕の中で生後9カ月だった娘を失い、生き延びた夫と4歳の息子も、収容所で栄養失調や戦時中のけがが悪化して亡くした。  戦後は51年から75年まで喜舎場幼稚園で働いた。北中城村婦人会長や県婦人連合会理事、中頭郡中部地区婦人連合会会長を歴任、86年に北中城村議会議員に初当選し、3期務めた。  沖縄戦体験を語り始めたのは33回忌を終えた77年ごろから。81年「全国働く婦人の集い」での講演をきっかけに、全国各地で講話を始めた。体調不良などから、昨年5月で約40年にわたる活動に区切りを付けた。共著「沖縄戦ある母の記録」(1995年、高文研)に体験をつづった。  闘病を支えてきた次女の比嘉佐智子さん(71)は「母は最後の最後まで語り部をやる、伝えなければ平和な世の中は来ない、と言い続けていた。今は何も考えられない」と声を落とした。


昨年の9月の始業式で、やはり沖縄タイムスの新聞記事から98歳になられた安里要江さんが体調不良から「語り部」の活動を引退され、若い世代にバトンを託した…という話を紹介しました。その時、安里さんについて以下のように紹介しました。もう一度再録します。

『大東学園の沖縄修学旅行が始まった1997年、安里さんはその年から何度も何度も大東生に向けてご自身の沖縄戦体験を話してくださいました。安里さんにとって自分の戦争体験を語るということは、自分の最愛の子どもたちを、夫を、家族をどのように亡くしたか、どんな様子で死んでいったのか…誰でも二度と思い出したくないような悲しくつらい体験を思い出し振り返ることです。「二度と悲惨な戦争が起こらないように、若い世代に自分の経験を語り継ぐ」というお気持ちであったとしても、大変なご負担であったろうと思います。どれだけ感謝してもしきれるものではありません。』

 いつかもう一度お会いして永年の感謝の気持ちをお伝えしたいと思っていましたが、かなわぬ事となりました。戦後75年目となった今年、ご自身の戦争体験を語ってくださる「語り部」の方々は徐々に少なくなっています。大東学園の沖縄修学旅行でも1997年当初は安里さんをはじめ、多くの体験者の方々にお話をお願いできましたが、今年度は玉木利枝子(85)さんと平良啓子(85)さんのお二人になりました。「語り部」の方々からお話を伺った私たちは、そのことをどのように活かしていくのか、その責任を思わずにはいられません。コロナ禍での修学旅行とならざるを得ませんが、2年生のみなさんには沖縄での素晴らしい学びの体験を期待しています。

2020.12.24 15:14 on 校長通信

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